2018/08/05
半月板手術~退院(手術~3週間)
左足半月板縫合手術を受けたので、記録しておきます。
(経緯)
1年前に突如歩けなくなり、地元整形外科に行ったところ半月板を損傷しているだろうということで、某医大の「えらい先生」を紹介してもらいました。
ところがそこで、半月板が割れてない→割れているとすったもんだした結果、やはり割れているね。というなんだかグダグダな結論に。そうこうしているうちに半年が経ち、徐々に症状がおさまり、痛いながらも小走り程度はできるように回復してきたため、このままにしておくか、縫合手術するかという決断を迫られている中、再度MRIを撮ったところ、直近の半年でだいぶ半月板が外にずれて、変形膝関節症がはじまりつつあるという事が判明しました。
やはり将来的にも縫合しておいたほうがいいのではないか。(という、主に今回の執刀医の勧めで)手術をうけることに最終的にはなりました。
●7月11日(前日入院)
→10時から入院。初めての相部屋(6人部屋)経験。夜は緊張とイビキであまり眠れず・・。睡眠薬もらえばよかった。(いえば貰えるようです)
●7月12日手術当日
→朝に出なければ浣腸と書いてあったのになぜかスルー。朝からストレスなのか、強烈な片頭痛になり、水分も飲めないため看護師に相談すると、点滴での処置となった。飲まず食わずで13時半から手術。
手術が終わり病室に入ってまもなくして痛め止め点滴(フェンタニル)への拒否反応、息苦しくなり→あえて深い呼吸→ガタガタと歯の根があわないほどの震え→吐きまくる。を5回繰り返した。薬を完全にとめてもらって、なんとか収まる。(すでに7時半ごろ)飲んだり食べたり出来るどころではなく、水を飲むと吐くので氷をもらった。
血栓予防の機械(フットポンプ)両足、酸素マスク、カテーテル、点滴(痛み止めと水分)、心電図?につながれていて、夜にはストレスフルだったので、「手術前に執刀医が、そんなにストレスになるならフットポンプはやめておいてもいいといっていた」と看護師に訴え←(これは本当)「本当はつけておいてほしいんだけど・・」と言われながらも、眠る時にはストップしてもらえることになった。フットポンプが本気で大嫌いなので助かりました。。酸素マスクも苦しいだけなので取ってもらえた(血中酸素濃度が落ちてなかったので)睡眠薬は絶対に欲しいと訴え、吐かないようチュアブルタイプの睡眠薬をもらって夜は睡眠。手術の傷の痛みは正直あまり感じず。
●2日目→朝起きると特に痛みがなく元気だった。朝ごはんも昼ごはんも食べてカテーテルと点滴をとってもらった。フリー!!!!!!この時の幸せよ!同時に車いすでの移動が可能に。リハビリがもう、はじまる。
●3日目→朝執刀医がぺりぺりーと傷にはってあるテープをはがして全貌があらわに
きたなくて申し訳ないです。・・・赤黒い。なんだこれ?「テープかぶれ」という人と「内出血」という人に分かれた。
赤いところは触っても感覚が鈍い。自分でもどっちかよくわからないが、ステロイド剤をもらって塗ることに。
執刀医に「今日からシャワーはいっていいよ」といわれる。はやっ!!!
看護師さんにつきそわれながらシャワーにはいれた。
●5日目→松葉杖開始。傷のあたりからつま先にかけて突っ張ったような感覚。
●7日目→一人でシャワーOKの許可(看護師によるチェックがある)
●9日目→六人部屋ストレスでブツブツ出現、週一の教授回診。白い巨塔みたいなやつ。こういうのって、マジで大学病院ってやるんだ・・・と驚愕。事前に看護師や下っ端の医師などが「今から教授回診なんで!」と、患者をベッドに着席させてお迎えの準備をさせるという不思議な光景。
●10日目→部屋が暗く、ストレスがマックス。窓際にうつれないか看護師に打診。30度曲げて良しの許可
●12日目→窓際にチェンジしてもらえて少し気分が上昇、月末で帰りたい旨希望。
●15日目
45度曲げて良しの許可
←7月27日の状態(赤みだいぶなくなりました)
●20日目(31日)
~退院~
・まだ怪我したほうの足を地面につけられないため、松葉づえとケンケン片足での生活です。家から近くのリハビリ可能な整形外科へ通院予定。松葉づえは体力がないうえに、腱鞘炎が悪くなる一方なので、なるべく使いたくないです。
●21日目(3週間経過)
自宅
★リハビリ自宅練習メニュー(・・・体力ない人用だと思われます)★
セッティング→関節を動かさず、太ももに力を入れる(1日1000回)
SLR・中殿筋運動・大殿筋運動→前・横・後ろに足をあげる(バンド負荷推奨)(午前・午後20回)
腹筋 ボールを両足に挟んで上下・左右(午前・午後10回)
背筋 うつぶせになりおなかにクッションをいれて状態をそらす(午前・午後20回)
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