2019/04/22

街はあなたのニワじゃない


先日、近隣市のオープンガーデンだったもんで、いってきました。今年漠然と自分の中で抱いていたテーマは、テラスの改善。
狭めの花壇やウォールを工夫してビオラやなんやの一年草をメインにやっている人のお庭を見たいなと思い、市からも庭を表彰された
事がある、2か所を選びました。

まず一つ目のお宅はウォールガーデンでした。ほぼハンギング。手は届くところに鉢は配置されていました。特徴は植物の種類が多い事。寄せ植えが多い事。要は一つ一つ植物が小さいです。限られたスペースでたくさんのものを育てたい場合、こうなる気持ちはよくわかる。
ただ植物のボリュームがなくなると、組みあわせのセンスで勝負していかないとならないし、しかもウォールという一画面で見たときにも、それなりの世界観を求められてくると思います。
私がやるならユニバーサルファームのハンギングディスプレイみたいにやや品種を絞って、ああいう感じをお手本にするかな。・・・って思いました。あれを再現できたらこの市では、天下とれる・・(どなたかやってみてください)


二つは目はボランティアの寄るタイプの公園ガーデンでした。
確かにとてもきれいに整備されて植物の状態も良いのですが、よくあるはなしで、色も植物もバラバラなのです。
それぞれ個人の趣味が反映されているため花壇としての統一感がないかなーっていう。

母は「あーいう活動は、他人の趣味に文句いえないでしょ。私も誘われたことあるんだけどストレスたまると思うから無理だわ」と一言。私も同意見です。


例えば今月の「趣味の園芸」の放送では、「みんなで街をニワにする!」というお題でした。街の中で皆と一緒にガーデニングを楽しむ“コミュニティガーデン”が急増中として、ボランティアが寄って街を緑化・花壇化することを紹介しており、その効果について、好意的にとりあげていました。しかし・・そうなのか?異議ありアリ有り。

確かに植物を育てることはたのしいことですし、植物が人の目を楽しませることも事実です。が・・・育てることがたのしい。と人の目を楽しませる。という事は同じ線上にはないんじゃないの?と。

もっとシビアな話をすると、公共の場の植物の植栽というのはある程度「以上」のセンスのレベルが求められるものだと思います。
それはなぜか。そこを誰もが通り、利用するからです。どうしても町並、景観として評価される対象なわけです。


ぶっちゃけて、個人趣味の花壇を見ても癒されない私のような人間が少数派でも現に居るわけでして・・。
ああ。・・こんなごちゃごちゃした花壇ならない方がマシなのに。って思ってしまう。花が植わってたらなんでも癒されるってわけではない・・。


たとえば駅回りの「〇〇会」とかいうような園芸ボランティアが受け持っている、水やりされてない鉢の陳列。手入れの行き届いていない植物ほど気がめいるものはありません。
それから赤と黄色とピンクのパンジーが一緒に植わっている姿も苦手。

もう一つ嫌いなものは、河川を許可制で貸すタイプの花壇です。あれも、人によって植えるものがバラバラで、全体として見た時に正直汚いとさえ思ってしまいます。河川の自然の風景というものの良さはなぜ評価されないのでしょうか。なぜそこをわざわざ個人の庭にしないとならないのか。自然があるならそれでいいんじゃないのか、私には疑問です。


テーマもない公共の土地の占有はただの不法占拠にしかみえないです。地域交流が大事なのはわかりますが、その方法をとらないでほしい。

私は園芸をやりたい人は、自分の庭を持つべきだと思います。ない人は工夫すればいいんです。うちもマンションでしたが工夫していました。基本的にはそこで完結させてほしい。

そうでなければプロが、プロデュースしてほしい。素人が寄り集まってそれだけで美しいものをつくりあげるのは奇跡に近いんじゃないかと思います。
園芸には宗派が色々あります。私もオープンガーデンにもいきましたが「うちはパンジーなんて植えませんわ、ほほほ」みたいな主義もあれば、私が今回行ったような庭もあるわけです。

私が常々趣味がわるいな・・・。と思っている駅前の花壇(プロの仕事)も、「まあすてき」とつぶやくおばあさんもいるわけです。人にはそれぞれのセンスと、色々な主義主張がある。だからこそ、駅前や公園や河川の土地の独占権を得た人たちは、周りから厳しい目で見られているかもしれない。ということを自覚してほしいなと、私は思ってます。


わが庭には植えたくない植物は植わっておらず、好きな色だけが配置され、主が快適になるようにできているのだなぁと帰ってきてしみじみしてしまいました。

まあこんな性格だし、園芸友達はできなくて当然!

母は今回、他人様との会話で、きかれてもいないのに自ら個人情報をダダ漏れにしながら話をして「どうぞいらしてください~」等と言ってましたが、ようやるなーって・・。褒めてもらいたいだけなんでしょうかね。謎です。

未だに母は自分のことをよくわかってないなぁと思った瞬間でもありました。私のほうがまだ自分を知ってる・・・・

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